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書評「書く人はここで躓く!作家が明かす小説の「作り方」(宮原昭夫/河出書房新社)」増補新版:大切なことがわかりやすく書かれている

 
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職業物書きを目指すワナビ兼アニメオタクです。 企業に依存しない生き方を目指します。
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こんにちは、hineです。

僕が読んだ小説の書き方指南書の第3弾はこちら。

作者の宮原昭夫さんは1972年に「誰かが触った」で芥川賞を受賞し、現在では小説講座の講師を務めている方ですね。本書には小説を書く上で大切なことがたくさん書かれていたように思います。中でも僕が付箋を貼って覚えておこうと思った箇所を、忘備録として残していきます。

「説明」ではなく「描写」せよ

小説の中で「美しい花」と書けば、それは説明である。その花に対しては、美しいという見方しかできない。しかし「紫色の小さな花」と書けば、それは描写となる。これならば、ある人にとっては美しい花かもしれないが、別の人にとっては地味な花かもしれない。このようにして小説を描写によって書けば、読む人それぞれにさまざまな読み方をしてもらえる可能性が生まれる。つまり作品の持つ幅や厚みがぐっと増すのである。

なるほど、僕も「その少女は美しかった」と説明を書いたことがあるけれど、「その少女の目鼻立ちは整っており、透き通る肌をしていた」と描写をしたほうが美しいと直接的表現をするより厚みがでるのかな。まああからさまに「美しいこと」を伝えたい場合には美しいと説明してもいいだろうけれど。「花」のように読者に色んな捉え方をしてもらいたい場合には描写の強みが活かせますね。

「わからせる」のではなく「感じさせる」

登場人物の人間像の魅力が、作品の内容に魅力を与える。ではどうやって登場人物を魅力的に見せるのか。その初歩的な過ちが「彼は魅力的だ」などと書いてしまうことだ。まさかここまで初歩的ではないにしても、多くの人が過ちを犯している。「その美しい瞳を……」とか、「そのあでやかな後姿が……」などと書くことでその人を魅力的にしようとする試みは、つまりはただ「魅力的だ」と書くことと本質的には同じである。あなたに料理を美味しいと説明することと、あなたに美味しい料理を食べさせることは違う。それと同じように、登場人物を魅力的だと説明するのと、読者に登場人物を魅力的に感じさせることは別のことだ。

これは登場人物を掘り下げるにあたって非常に重要な視点ですね。登場人物がいない小説はありませんから、小説を書く上で念頭に置いておきたいこととも言えます。

リアリティとは、「必然性」と「一回性」が合わさったものである

読者があるシーンにリアリティを覚えるのは、一方ではそんなことが実際に起こってもおかしくはない、という「必然性」を感じ取ると同時に、そのシーンには、他の時、他の場所での同じようなシーンには決して無いものがある、という「一回性」を感じ取る場合ではないだろうか。ある小説に――母親の臨終を見守る主人公が、窓外の交差点を車が曲がるたびにそのヘッドライトが一瞬病室のカーテンをかすめるのに気を取られ、その感覚が何秒おきかをその都度腕時計で確かめられずにはいられない――という描写があった。目前に迫る母親の死というメインテーマとは何の関連もないこの細部が、それにもかかわらず、むしろこの臨終シーンにインパクトとリアリティを生み出しているのは言うまでもない。もしこの場合、いかにも臨終のシーンにありがちな、家族の沈鬱な表情とか、吸入用の酸素の泡の音、密かな看護師の足取り、などといった、いわば「必然性」の感じられる細部だけがあって、こうした「一回性」の細部がなかったとしたら、どの細部とも違う、この臨終だけのリアリティは生み出せなかっただろう。
嘘フィクションで何かを描くときに、何かしらとても奇抜な、とっぴなことを、とてもありえないようなことを、ちょっとうまいぐあいにはさむと、そのフィクションが、ずっとほんとうらしくなる

ははぁ~、理屈はよくわかるけど、これは難しいなぁ。こういう本当に「一回性」のあるリアリティな描写をするためには、本当に登場人物を生きているように動かなさ無くては叶わないことですよね。その人物の性格と、それができあがるまでの経験をしっかり設定して初めて「ここでこいつはこんなことを考えるだろうな」と想像できる。そういうことをさらっとやってしまう才能がある人もいるだろうけど、僕にはまだ難しいことかもしれない。

「小説」と「作者の意図」との関係

「小説」と「作者の意図」との関係は、「建築」と建築現場の「足場」との関係に似ているような気がする。ブロックやレンガを組み上げて建物を築くには、足場が絶対に必要だ。それなしでは建物そのものが成り立たない。しかし、その建築が完成したあかつきには、足場はすべて取り払われ、人目に触れることはない。もしも完成の後にも足場を残さねばならず、それ無しでは建物が自立できないとしたら、その建物は欠陥建築である。
小説の場合も同じだ。小説の成立には絶対不可欠なテーマや思想やモチーフが、もしも小説自体のなかに改めて書き込まなければならず、そうしない限り小説として成り立たないとしたら、その小説は、足場を取り外したら崩れ落ちてしまう建物と同じような欠陥作品ということになるのではないか。
出来上がった建物が固有であるためには足場が固有でなければならない。逆に、出来上がった建物そのものを見れば、そのための足場がどのように組まれていたかは一目瞭然だろう。同じように、出来上がった小説がちゃんとした作品である限りは、作者の意図を作品の中にわざわざ書き残しておかなくても、読者にはちゃんと伝わるはずだ。

この部分を読んで、僕は過去に金曜ロードショーで見たスパイダーマンの3だったかな?を思い出しました。その映画のテーマは「大きな力には必ずその責任が伴う」だった(僕はそう感じた)んですけど、主人公のモノローグで「大きな力には責任が伴うんだ」ってセリフが何度も出てきたんですね。一回なら何も気にしなかっただろうけど、気になるくらいには複数回言ってたと思う。映画の終わりにも確か言ってたと思う。それを聞く度に僕は「それセリフとして言わせるんじゃなくて言外に伝えてくれないかなあ」と思ったのを覚えてます。(スパイダーマンをフォローしておくと、小説と映画では構成の仕方が全く違うから、そういう意味では仕方がないのだけれど)筆者が言いたいのはきっとこういうことで、これも説明してわからせるのではなく感じさせろっていうことなんだろうな。

遠藤周作の小説の書き方「自分の信念に揺さぶりをかけるために書く」

「自分の信念に揺さぶりをかけるために書く」とは、つまり、作者が人生の体験や思索から、いちばん正しいと信じるようになったことを、そのまま、「それが正しい」と読者に向かって主張するために小説を書くのではなく、逆に、その信念に最も都合の悪い設定を作中にしつらえて、その中で、作者と同じ信念を持つ主人公を行動させ、そうすることで、その信念が本当に正しいのかどうか、主人公が最後までその信念を持ちこたえることができるのかどうかを検証してみる、ということだろう。

これはすごく具体的で実用的な小説の書き方だなあ!なにが実用的かって、書くことが「自分の信じる信念」だから主人公の行動を自分自身がどう行動するかで考えられるから、そこに想像力はあまり要らない。自分という人間はまさに生きている人間だから、主人公にリアリティが生まれざるを得ない
「自分が持つ信念とはなんなのか」「それに最も都合の悪い設定はなにか」を考え尽くす必要はあるけれど、この方法はもっと広まるべきだと思いましたね。

まとめ:具体的な例を用いているからわかりやすい

筆者の宮原さんは小説講座の講師を務めていることもあって、過去の受講者たちの小説の実例を用いて説明してくれるんですね。だから実際に物書きたちが犯してしまうミスなどに説得力がある。「ではどうすればよいのか」という方法論がもう少し具体的に書かれていればなと思うことはあるものの、小説を書く上で念頭に置いておきべきことばかりが書かれていたように思います。

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